姉帰省の日

姉、単独で帰省。私もちょうど実家へ行く日だったので合流できた。

お互いコロナを心配して、なかなか会えていなかったので1年ちょっとぶり。

私の大きくなったお腹を見てあらためて驚いていた。

父はその様子を見つつ「赤ん坊入ってるにしてもデカすぎるよなあ」と。

一言多いなーもう!そういうとこよ!と思いつつ 適当にスルー。

 

子育てのパイセンに色々と情報を聞いたり話を聞いてもらえて

姉がいてよかったなあとしみじみ。

若かりし頃はそれはそれはよく喧嘩してたけど、

お互いすっかり大人になったもんだなあ。

 

父の体調は、いい感じ。

抗がん剤 副作用なし

・みぞおちの気持ち悪さ、微熱は続いている

・食欲あり、ご飯は自分で用意して食べている

・仕事も体調見ながら継続中

・今日も寿司リクエスト(さっぱりした物が食べたいのかな)

・姉が買ってきてくれたスイーツやおせんべいも美味しそうに食べていた。

 

コロナの影響で親以外は原則参観禁止だった、

孫の発表会や運動会の動画を見てほのぼのとした時間を過ごす。

保育園児の甥は、小学生の姪の英語教材をわきで見ていて動物の名前をいつの間にか英語で言えるようになったらしく動画を見せてもらう。

 

「キリン」は「ズィラフ」。

「さる」は「マンキー」。

 

ケントデリカットもびっくりの発音の良さだ。

教わってもいないのに自分で興味をもって学習するなんて賢すぎる可愛い愛しい。

 

今日も本当は子どもたちを連れてきたかっただろうけど、

多分色々考えてお留守番してもらったんだろうな。

 本当はもっとしょっちゅう来たいだろうけど、そうもいかないから姉ももどかしいだろうなと思う。

 

明るい雰囲気で遅くならないうちに解散。

服用開始の日

父、レンビマ服用1日目。

・がん発覚前からの微熱は続いている。

・食欲あり

・足首から下、結構なむくみあり

 

ネットで調べたところ、むくみはどうやら薬の副作用というより

肝臓がんの症状のひとつらしい・・・

重くはなさそうだけど、

週1の通院の時に相談した方が良さそうねということに。

 

私も産休入るまでまだ仕事があるし付き添えないのがもどかしい。

寿司を食べた日

昨日は父と落ち着いて話せなかったけれど、

その後告知に付き添った兄と久々に電話をした。

・肝臓の一部だけでなく全体に広がっているため手術は現実的ではない。

・リンパ節に転移している。

・手術は体力も奪うため積極的に勧められない。

・日常生活の質を保ちながら投薬治療(レンビマ)の方向。

・副作用(手足の荒れ、気持ち悪さ、食欲減退etc)の可能性あり。

 

淡々とした説明が、ありがたかった。

 

実家は車で30分の距離。

ひとまず私も夫も定時で仕事を切り上げ、共に父の元へ行くことに。

仕事休憩中、父に たべたくないもの、たべたくないものはあるかの確認をLINEで。

「寿司を食べたい」 との返信。小さく驚く。

何でもいいと言われると思ってたけど 寿司か・・・と少し笑う。

全然「寿」なことはないけれども、食べたい、という欲求のリクエストが嬉しく、

いつもより少しだけいい寿司屋でテイクアウトを予約した。

 

父の様子は落ち着いていて いつもどおり。食欲も旺盛だった。

ただ、一ヶ月ほど前に会った時より明らかに顔色は悪いけど口には出さなかった。

うまいうまいと寿司をほおぼりながら、雑談7割、がんのこと3割。

夫の穏やかないつも通りの明るさと、

NHKのいつも通りのテンションに救われる食卓。

 

父は兄と同じように、淡々と病状とこれからの説明をした。

翌日朝から早速レンビマ服用開始するとのこと。

 

現在は思ったよりも元気そうな父。

副作用が最小限に留まり、今日みたいな日が少しでも長く続くことを祈りながら帰宅。

聞いた日

-2021/3/15

夕飯時に父からLINE。

「帰宅していたら電話くれ」とのこと。

なんか事務連絡でもあるのかな、という軽いノリで電話。

 

ガンになったと告げられる。心なしかいつもより明るい声で、深刻さを隠そうとしているような雰囲気で話を続ける父。

私のほうはというと頭が追いつかず、できるだけ平常心を保って会話をしようと、口先だけで会話をしていた。

 

「ステージ4」「リンパ節に転移」「末期」「手術不可、投薬治療」というキーワードが出てくるたび、過去の母のがん告知の記憶も呼び出されて、死が近付いている現実を受け止めきれず、いつの間にか一気に平常心のリミットを超えていた。

嗚咽して息が苦しくなり、父に「いったん切ろうか」と言われたけど、胸をさすりながらひとつひとつの呼吸を意識して整え、できるだけ話を続けてもらった。一番納得いかないのは父だろうにすぐに私に電話してくれた。ちゃんと聞かなくちゃ。

 

夫は夕飯を作ってくれていたが異常な雰囲気に気がついて手を止め、部屋の外からタオルを投げ込んでくれた。普段は布巾につかっているタオルだった。

おいおいこのタオルかよ、と頭の隅で思いながら、突然泣きじゃくる私を見た夫の動揺も察知した。黙って少し匂うそのタオルを握りしめながら電話越しに父の話を聞いた。

 

服用する薬名や、経緯、具体的な治療方針など、結局ろくに話が入ってこないまま電話を切った。多分 父も私の限界を感じて話を切り上げたのだと思う。

 

色んな想いが交差してまとまらなかった。

話もろくに聞けず情けない娘で申し訳ない。

持病があるから採血して検査も定期的にしていたのに何故分からなかったんだろう。

あと2ヶ月で産まれてくるこのお腹の子の成長も当然のように見守ってもらえると思ってたのになんで。

冷静にならなくちゃ。どんなサポートができるのか。

がんは母のいのちも奪って、父のいのちも。にくい。

母が他界した時、すごくすごく後悔をした。今だに思い出すと胸が苦しい。またそんな後悔をするのはいやだ。

 

通話後夫に 途切れ途切れに状況を説明するも、言葉にならず、苦しく、自分でも制御できず。うめき声を止まられなかった。

心拍の変化を感じたのかお腹の赤ん坊がお腹の中でバタバタと暴れていたような気がするけど、かまっていられないような気持ちになってしまっていたと思う。申し訳ない。

 

長々とまとまらないけど、これが一日目のこと。